夜泣き地蔵(よなきじぞう)[谷地中部・谷地南部地区]
土慶小路の中ほどに「夜泣き地蔵」という北向きのお堂がある。小児の夜泣きに効くというので、この名がある。
日本では北向きのお堂が珍しいので、祭神は古志王神と考えられている。古志王神は、伊勢系や出雲系の神と全く別系の神で、古代の日本に帰化した越人の神である。越人は大陸から渡来して、北陸地方に住みつき、のちに越前・越中・越後の三つに分かれた。
この夜泣き地蔵の本尊は、彩色された石の地蔵様で、口もとに紅をさした柔和な顔立ちである。その外、こぶし大の古い木彫二体があり、由来はきわめて古いというが、口伝のみで記録はない。古来古志王神は「北向き薬師」「聞き耳地蔵」などと呼ばれ、耳疾や厄落としの御利益があると信じられ、孔のあいた麸や小石を奉納している。今もお堂の正面の羽目板に50個にのぼる孔あき石が下げてある。
狭い敷地には、湯殿山碑のほか、百萬遍供養塔が二基建っている。明和7年と文久年間に建てられたが、銘を見ると、村内の講中が「天下泰平・村中安全」を祈願しての建立である。
あいつぐ大飢饉にあえぎつつ、お互いに助けあいながら、村内の平安を祈り続けた信仰深い村だったことがうかがわれる。