恙虫祠 最上川の合流点近くの寒河江川堤防上に、恙虫明神を祀った石堂があります。これは荒砥の毛谷(けだに)大明神の分霊で、厄除けと死亡者の供養のため大正5年(1916)に建てられたものです。世話人として髙橋傅市・後藤三四郎・木村七蔵の名が見えます。

 荒砥に毛谷大明神が祀られたのは万延元年(1860)ですから、それ以前に置賜地方では恙虫病が奇病として恐れられていたようです。

 大正2年にこの地区では、24名の罹患者があり13名が死亡しています。新開の中洲に出入りした人々が次々に死んで終(しま)ったので、これを新開病と呼んで恐れました。その病原体をリケッチアと命名したのは、対葉館を拠点に研究を重ねた長与又郎ら伝染病研究所の研究陣でした。その間、長登廣治をはじめ渡部治贇(はるよし)・田原謙治郎・大山惣作・菊地匡などの町医師が、献身的な協力や資料提供をしたといわれています。

 夜入浴中に皮膚を軽く逆撫でして、ちくりと痛む部分をピンセットで抓んで切除してもらうのが、最良の治療法でした。脇腹や陰部を刺すことが多かったので、「恙虫は助平な虫だ」とののしったりしましたが、触診を拒んで死んだ人も多かったと語り継がれています。