大町観音堂と一夜千日様 大町観音堂と一夜千日様

中央通りの十字路から西に五分ほど歩くと、大町観音堂があります。ここに、谷地八幡宮の別当円福寺の末寺である「高円坊」がありました。東西十五間、南北二十間の境内は、除地(免税)でした。

縁起は明らかではありませんが、観音堂は高円坊の鎮守として、貞亨年間(一六八四~八七)に勧請(まつること)されたと推定されています。

大町念仏講帳などによると、元禄三年(一六九〇)六月に本尊の再興が図られ、その後寛延二年(一七四九)七月に堂宇の再建が行われました。

御本尊は、銅像十一面観音立像(町指定文化財・・・頭上面を十二面とする珍しい鎌倉時代の作、高さ三二・九センチ)です。厨子裏の記録によると、元禄三年、本尊再興の際、大町の高梨安利が発願主となり、紅花商人柴田弥右衛門が取次人となって、厨子とともに京都より求められたものです。

二十一年ごとに御開帳される秘仏で、「一夜千日様」と呼ばれ、一晩お参りすると千日の霊験があるとされ、往時には多くの参詣者で賑わい夜店が立ち並んだといいます。 数年前から、昔の賑わいを取り戻そうと、河北町中心街活性化促進協議会と地元の人々の努力が続けられています。

祭礼は、八月九日です。
なお、谷地郷三十三札所の第一番が大町観音堂です。

※次の御開帳は2034年です。

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