大町通りの少し北奥に、一向上人ゆかりの時宗金湛山(きんたんざん)長延寺がある。参道に沿って清らかな川が流れ、石門柱を過ぎると老松を笠に地蔵堂が建つなど、その風情は念仏道場にふさわしく心休まる。

 長延寺は鎌倉時代の永仁(えいにん)元年(1293)3月、極阿(ごくあ)上人により開かれた古刹(こさつ)であり、今日まで700余年の歴史を誇る。その足跡を見守り続けてきたのが、本堂左手前に鎮(しず)まる板碑(板石でできた塔婆(とば))である。板碑の石質はもろい凝灰岩(ぎょうかいがん)であるため風化が進んでいるが、キリーク(弥陀)の種子(しゅじ)が刻まれ、明治末年頃までには永享(えいきょう)5年(1433)と、室町時代初期の年号が読みとれたといわれる。

 高さ159センチ、上幅42センチ、基部幅49センチ、厚さ24センチ、額部の張り出し3センチ、頭頂部は肉髻(にくけい)形(頭頂のもとどり)をなし、本寺の天童仏向寺板碑の流れを汲み、堂々とした風格を備えている。

 板碑は追善供養のために建てられたものであるから、長延寺の板碑は開山極阿上人か、または、その後100年の間に同寺を中興した上人を供養したものと考えられている。

 現在、板碑は風雨を防ぐ覆いの中で何も語らないが、鎌倉時代以来の阿弥陀信仰の歴史を宿し、私たちを過ぎ去った昔へと誘うのである。