両所神社と最上三十三観音  両所神社は、急勾配の下馬坂を登りきった平地の高台にある。この神社の歴史は古く、用明天皇(586~7)の時代という説があるが、源義家が前9年の役(1051~62)で奥州征討の後、建立されたとも言われる。

 祭神は月夜見命と保食神で由緒によると源義家が鳥海の楯攻めで難儀したとき土地の翁が鳥海・月山両権現に祈願すれば勝てるといったので、義家は「戦いに勝てば分霊を祀る」ことを神に誓い、戦いのあと鳥海・月山の神を勧請しこの地に権現堂を建立したのが起源とされる。

 その後慶長年間(1596~1614)には最上義光が社殿を再建、宝暦年間(1751~63)に和田六太夫が本殿を再建し、「両所大権現」と称したが、明治維新の際に両所神社に改称された。しかし昭和20年5月の大火で類焼し、昭和23年7月に再建された。

 境内の北側緩やかな斜面には「最上三十三観音」の石仏がひっそりと佇んでいる。建立されたのは嘉永4年(1851)で、沢畑の補陀落山三十三観音や四国八十八ヶ所石仏建立の3年後のこと。寄進者は西里地区の有志である。

 最初は神社の川向いの仏向寺跡に近い傾斜地にあったが、土砂崩れの恐れが出たため、昭和50年に現在地に移された。
両所神社と最上三十三観音