吉田市神  河北町には九基の市神が祭られており、その数の多さや市神が今日なお町民の生活に生きていることから「市神のひしめく町」として、全国に紹介されています。市神は本来、市が開かれる場所の目印として置かれた素朴な自然石でそのほとんどが無銘です。

 河北町には九基の市神が祭られており、その数の多さや市神が今日なお町民の生活に生きていることから「市神のひしめく町」として、全国に紹介されています。市神は本来、市が開かれる場所の目印として置かれた素朴な自然石でそのほとんどが無銘です。

 吉田の市神は、吉田地区旧街道のほぼ中央の路傍に立っています。白鳥十郎が谷地築城の時に設けた北口の市が、その後新庄藩から町方に指定され、最上川舟運の物資の供給所となって栄えてから、吉田の市は自然に衰微し、天明年間(一七八一~一九八九)に市場を北口に譲り渡したと言われています。

 譲り渡しの理由について、北谷地村史では「市の日に悪者共四方より集まり賭博をし、家内の留守に盗賊を働くものが多きに依るものなり」とあります。

 吉田市神に限らず、残された多くの市神は現在も、かつての市場の面影を残す道路の片隅や近くの氏神の境内などにひっそりと祭られ、地域の人々の信仰を集めて静かに立っています。