堀口館跡 長表道を進み磐田電工の東側の堤防から眺める最上川の風景は、昭和11年に始まる内務省の河川改修工事によって創られたものである。それ以前の最上川はこの辺りで東に向きを変え、対岸のゴルフ場を越えて第二漁協の北から柳堂稲荷・畜産団地・クリーンピア付近を経て、野鳥の楽園古最上へと大きく蛇行していたのである。

堀口館跡 長表道と押切を付け根とした舌状台地が、最上川を東へ押しやっていたといってもよい。

 三方を最上川に囲まれ、近くに河港もつくれるこの台地は、守るに堅く水運の便にも恵まれており、また、一帯に元屋敷・八幡宮朱印地・抑口などの地名が残っていることなどから、ここに堀口館があったと考えられてきた。

 それが最上川の改修工事が進むにつれて、およそ八基の五輪塔と墨書銘がある板碑(いたび)が三面、それに石の箱などが発掘されて、堀口館の存在が実証できるようになったのである。

 堀口館は南北朝時代の終わり十四世紀末に中条備前守が築いたとされている。中条氏はここを足場に、近くの大塚から内楯へと歩を進め、やがて谷地郷全体の領主へと成長していったのである。

 現在、堀口館跡は最上の川底に沈み往時の栄華を語らないが、時には堤上から堀口館に想い馳せたいものである。