溝延最上川渡船場  町村合併当時、町内には県営渡船場が二カ所と町営渡船場四カ所、計六カ所の渡船場がありました。数えてみてください。

 最後まで残っていたのが町営溝延渡船場でした。それでも昭和五十二年九月からは冬期運航を休みにし、同六十一年度には廃止になりました。

 この渡船場は昭和十年代前半までは、約三百メートル程度上流にありました。

 江戸時代、出羽三山詣りにきた道者たちに、白岩からこの渡しを越えて、山寺に参詣するための木版刷りの道案内を白岩の宿屋で配っていました。何よりも天童・村山へ結ぶ交通の要衝でした。城米の積み出しもありました。

 最上川向かいには、江戸時代から広大な溝延分の畑地が広がっていました。昔は紅花、明治中期からは桑、今は桜桃が主作物でしょうか。

 昭和二十年代までは春蚕・夏秋蚕・初秋蚕の盛りには、荷車やリヤカーが六・七十台も渡船場に並ぶ風景があったといいます。

 嫁時代、肩にくい込む桑を入れたバカはけごの重みを渡船場と一緒に思い出すお婆ちゃん方もいます。

 船頭さんのこと、大水と舟止めのこと、流水の変化や個人の持舟のこと、聞くことは数多いです。今はない村の人たちの大事な大事な足でした。