松橋の市神  松橋では現在県道天童・河北線の拡幅整備工事が進行中であり、江戸時代以来の西の玄関口の面影が変貌してきています。それに伴って、若宮八幡宮の標柱や鳥居も東に移動し、社殿に続く参道も直線から鍵形に変わりました。

 その参道の西側には、稲荷堂に並んで三基の石碑が建っています。手前は地上に出ている部分の高さ七〇センチ、幅六五センチ、厚さ四八センチのどっしりとした自然石で、これが松橋の市神であり、その先に湯殿山と太神宮が続きます。

 市神は本来、市が立つ場所の目印であり、市の安全と繁栄を願って祭られたものであるから、昔から若宮八幡宮の境内にあったわけではありません。

 大町念仏講帳の享保十六年(一七三一)の記事には「夏米、松橋市で九拾文より九拾五文迠」とあり、明和九年(一七七二)の松橋村書上帳には「当村に六月二日より同六日迠、日市年々立て来り候」とあるから、今の暦でいえば七月初め、なす・トマト・きゅうりが出る頃に市が開かれていたのは確かです。開かれる時期から、松橋の市をきゅうり市とも呼んでいたようです。

 一般に市が立った場所には「宿」の地名が残っています。鶴屋醤油店西隣の板坂繁蔵さん宅は、代々中宿の屋号で呼ばれています。この中宿は松橋市の名残を示すものと思われます。松橋の市神