長谷寺の槙五鳳の小自在庵碑 伊藤馨の撰文並びに書になる小自在庵碑の碑文は、恭敬の念篤く、親しみの情がよく与された金石文です。

 鳳山伊藤馨は酒田の人、儒学を江戸の浅川善庵に師事し、若くして三河国田原藩に儒をもって仕えた駿才です。

 建碑は五鳳の友人門人等によって計画され、文久元年に親交を得た鳳山に撰文が依頼され、文久二年に建碑、二年後の元治元年四月吉日開眼の式が賑々しく執り行われました。小自在庵は、安政四年頃に家業を長子にまかせた五鳳は宅地の一隅に庵を結び隠遁の自在なくらしに入りました。この庵が石蘭亭小自在庵です。
 日本の伎芸文芸は師承するものです。俳諧を薫風を尚ぶ鳳朗・祖郷に、絵画を椿椿山に師事しました。西村山地方の文人の中心として、小自在庵は文雅なサロンとなりました。ここに集まる同志や門弟により文壇が形成されていました。これが石蘭社です。

 江戸の中頃以降、我国古典や清新な文芸の殆どが研究され出版されて、文化文芸のサロンが各地に興り論談風発します。明治維新の基盤が整ったと言えます。