阿弥陀堂(阿弥陀図像板碑) 阿弥陀堂(阿弥陀図像板碑)

 板碑の中央に厚肉彫りに仏像を刻みだし、土の中に埋めこんで祀ったものでしょう。今はコンクリートに嵌入(かんにゅう)しているので、もとの仏像と板碑の大きさは測定できません。

 仏像は印相(いんそう)が不明ですが、阿弥陀如来坐像と考えます。コンクリート台からの高さは仏像四二・五、板碑が一〇四センチメートルです。年代は鎌倉末期のものと思います。

 西村山地域では唯一といってよい珍しいものですが、天童市の仏向寺・石仏寺や荒谷地区などに、これと似た石像が見られます。

 これらの石像は、鎌倉時代に成生荘(なりゅうのしょう)(現天童市)の仏向寺を中心に、一向(いっこう)俊聖(しゅんじょう)という坊さんが広めた念仏信仰圏に分布するようなのです。

 河北町内にも鎌倉末から南北朝時代にかけて、天童仏向寺末の長延寺・西蔵寺(谷地)、真光寺(西里)、阿弥陀寺(溝延)が建立され、一向派の念仏が普及していました。

 この阿弥陀堂の所有者である宝泉寺は、室町時代に開かれた浄土宗の寺院ですが、開山に協力した斎藤市郎左エ門が、阿弥陀堂の場所も寄進したと伝えます。

 寺より古いこの仏像は、河西へ進出した一向派念仏信仰の遺産でしょう。堂脇の古松が枯れたのが残念です。