造山の牛山と虎山 造山には、地名の語源となったと言われる牛山と虎山という二つの山がありました。
 一つは明治の初め、寒河江谷地間を結ぶ道路工事のため崩されたが、もう一つは日塔久左衛門(当主は章彦氏)家の屋敷内に残っています。

 直径10メートル、高さ3メートル位の小高い山で、頂に大日如来の祠が祭られています。その近くに樹齢五百年以上のサイカチの巨木があったのだが、昭和五十八年の強風で倒れ、根株だけ残っています。山を築いたのは、溝延城の家臣で、時代は天正年間(1573~1592)の頃。

 「溝延長老記(こうえんちょうろうき)」によると、二つの山の頂上を掘り、黄金の鶏雌雄二羽のほか、砂金壱千盃を奉納、更に太鼓橋を架けたと言われています。それで造山には長者様が居たと言う伝説が残っています。牛山、虎山の東の方に紅花畑を開き、八人の番人(花守)を置いきました。その八人衆が畑中の先祖ではないかと言われています。このことから畑中より造山の方が早く開けた土地だということです。

 日塔家は、近世期末から在方商人(ざいかたしょうにん)として「萬屋」を名乗り、上方との商取引で財を成した豪農です。

 牛・虎は、北東「鬼門」に相当しますが、何の目的で造られたのか謎は深まるばかりで
す。