金神社(かねじんじゃ)  桜町通りの西端、寒河江街道と交叉するところに、地蔵堂と並んで金神様がある。
 この付近は古来銅屋口と呼ばれ、中世代中條氏が鍛冶師や鋳物師(いもじ)達を住まわせた職人町の跡であるといわれる。

 金神社は、もとは今より南方、渋川のほとりに立派な社殿を構えていたという。
 祭神は、金山をつかさどり鍛冶の技術や安全の神様とされる金山彦之神(かねやまひこのかみ)と金山姫之神(かねやまひめのかみ)の二神で、鋳物で浮き彫りにされ、板に掛けられている。

 金神社の創建は定かではないが、光明院の綸子写(りんずうつし)(荒町の浦木家に伝わる暦応5年(1342)に発布された鋳物師特許状の写し)や、中條氏の入部などを考えると、鋳物師たちの定住と共に勧請されたようである。拝殿の鰐口には『奉納 谷地櫻町銅口 山形勅許鋳物師佐藤金十郎藤原忠国鋳之 享和2年(1802)壬戌』と陰刻してある。佐藤金十郎は寛政年中に谷地八幡宮の大鐘を鋳造しているので、完成を報告し、お礼に鰐口を奉納したものであろう。

 このことは、天文~慶長期に全盛期を迎え、幾多の名品を残した谷地の鋼屋町の活動が終り、山形では勅許鋳物師連が梵鐘鋳造などに活躍していたことを示しているが、最上氏が谷地の職人を山形に移したので、谷地鋳物が衰退したという説は定かではない。