熊野神社と大欅  高関は神町・天童方面から谷地への玄関口にあたり、熊野の大欅と茶屋の柳は旅人にとって格好の目印となっていました。
 高関という地名は出入口を固める関所を連想させますが、実は熊野神社の東南角を落ち口に堰を掘り、付近の高台一帯を開拓し、村をつくってきた歴史に由来しているらしい。

 熊野神社は古い由緒を誇り、平安時代の天慶(てんぎょう)年間(938~47)に創建されたとされています。その後、鎌倉時代の文治年間(1185~90)に、平家一族の河村太郎繁貞が改めて紀州熊野神社を勧請(かんじょう)して、杉の下集落の北方の橋板(現在の工業団地か)に社殿を建立したといわれています。

 熊野神社が高関の現在地に移ってきたのは、熊野第二十代法印宥伝(ゆうでん)の文明年間(1469~87)の頃で、その時、法印が手植えした若木が、この大欅になったのですから、樹齢530年近くになるわけす。

 すくっと立つ周囲6.7メートルの太い幹は東西2本に枝分かれして23メートルの高さに達し、根本には延享元年(1744)の湯殿山大権現の石碑を抱えています。

 高関の開発の歴史や最上川・渋川・逆川の変遷を見つめ続けてきた大欅は、べに花温泉 ひなの湯ができて、新しい住宅地となった下野一帯の変わりようを、今、どんな想いで眺めているのでしょうか。
熊野神社と大欅