北口陣屋(代官所)  北口南、ひな市通り沿いに細谷医院があり、その駐車場の一隅に「北口陣屋(代官所)」と題する史跡説明板が立っています。

 元和八年(1622)7月に、北口村・工藤小路村・吉田村・大久保村など上谷地郷六カ村は新庄藩領となり、藩主藩領となり、藩主戸沢政盛は寛永元年(1624)ここに新庄陣屋を置いて上谷地郷を支配しました。

 およそ700坪の敷地には、大戸門・役屋・長屋などがあり、代官の外2~3名の手代を配して明治初年まで及んだのですが、幕末の戊辰戦役で庄内藩兵に襲われ、役屋は焼失しました。明治4年(1871)に廃止されるまで、北口陣屋は247年間に及ぶ上谷地郷の行政の本拠でした。

 明治6年(1873)9月、焼失をまぬがれた長屋を払い下げ改築して、谷地で最も早い小学校が設立され、その名を「開明学校」と呼んでいました。

 しかし、明治17年(1884)11月、八幡宮東側(現在の役場の所)に「谷地学校」が新築開校されたことに伴い、開明学校は廃校となりました。

 現在、北口陣屋や開明学校等、当時を偲ばせるものは何もありません。区画整理事業も進行中で、時代の変化と共に町並みも又、激しく移り変わろうとしています。