三篋塔  弥勒寺の北西に「三篋塔」という三基の五輪塔がある。古来、義経の忠臣佐藤継信一族の墓と伝えられてきたが、生活に追われた戦後は荒れ放題になっていた。その荒廃を嘆いた弥勒院の月光祐浄は、寄進20余万円を投じて昭和38年見事に復興した。

 三篋塔の右には「遠き世の三筐塔や花供養」と刻んだ名和三幹竹の句碑、左に山形県史編纂委員平沢東貫撰文になる三筐の碑がある。碑文には「三筐の名称から考えて、ここはもと経塚であったと思われる。現に経石が続々掘り出されていることは之を証拠だてている。それが幾百年もの長い間佐藤継信、忠信兄弟やその一門の為の供養塔と信ぜられ語りつがれて今日に及んでいる。佐藤兄弟の純忠壮烈は後の世までも賛えられ、又その遺族の悲しみを共にして冥福を祈る心は世界平和の悲願にも通ずるものである。苔むす石塔にまつわる史実の如何はともかくとして伝承の跡は永く保存しておきたいものである」とある。裏面には、真言宗智山派管長秋山祐雅が戒名を謹書し、名工松沢辰蔵が精魂こめて刻んでいる。これは河北町の宝であり、一見すべき石造物である。

 この史跡については鈴木勲氏が「西村山地域史研究会報第24号」に、きわめて要領よく紹介しておられる。