仲買業の目早とサンベ  山形の花市は活況を呈したが、生産者から生花を買い集めて市場に持っていき、花宿と取引をしたのが目早とサンベである。両方ともこの地方独特の名称で、目早というのは生花の状況を見て相場を見定め、問屋や買次商人にあっせんする仲介業者で、サンベというのは商人から依頼されて生花の集荷に当たる仲買人のことである。江戸時代の初期には、目早とサンベの区別がなかったと思われるが、紅花の生産量が増え取引が盛んになると、どうしても生産者と仕入宿との間に立って仲介する業者が必要になってくる。こうして生まれたのが目早である。

 目早の性格が確立してくると、流通の円滑をはかるため、山形藩では享保16年(1731)にこれを公認することになり、目早たちは仲間を結成し公認の代償として一定額の税金を納めるとともに、売買の口銭など必要事項の協定をおこなった。天明の頃(1781~1788)には山形領内に目早が50人、サンベが100人位、谷地付近には両方で25人位おったという。

 目早仲間を公認するということはその特権を認めることであり、やがて流通機構が変わるほか、いろいろの問題が生じてきた。流通面では、目早と特定の仕入宿との結びつきが強くなり、花市が次第に衰え、上方から生花を買い求めにくる商人は入手できないようになった。また、目早たちは利潤目あてに、現物を入手する以前に取引を約束し、いろいろの問題が起こるようになった。

 それにしても、目早とサンベは紅花流通機構の中で重要な役割を果たして、明治初期まで続いてきた。