織田信長が白鳥十郎に、名馬を貰った頃、山形城主最上義光が病気にかかり、なおったならば紅花を奉納するとして、湯殿山に病気の平癒を祈願した文書が残っている。

 天正7年(1579)8月28日付の「敬白湯殿山権現へ立願之事」という標題の文書で、この年、義光は重い病いにかかり、山形の副泉坊という者を遣わし、平癒したならば来年4月8日に、斗帳(とちょう)・神馬(しんめ)・上紅花壱貫200匁を献上することを誓っているのである。この紅花は当然干花であったと思われる。

 奉納の期日を来年4月8日としたのは、湯殿山の山開きと関係があったのであろう。当時湯殿山では4月8日に山開きをおこない、8月8日に閉山した。祈願日が閉山後であったので、奉納日を翌年の山開きの日としたものと思われる。その他の記録によれば、祈願のおかげで義光の病は平癒したという。その頃この地方では紅花が作られていたと思われるが、まだ紅染の技術は知らなかったようで、干花を献上された湯殿山では、それをどう処理したのであろうか。ともあれ、この文書は紅花に関する貴重な文書であり、当時紅花は貴重品であったことを示す史料である。