紅花は有力な換金作物であり、江戸末期までその生産量を維持してきたのであるが、いよいよ幕末になると養蚕や茶の栽培が普及してきて、紅花はやがてそれらの生産に押されるようになった。こうした傾向は、その当時全国的なものであった。

 その頃、国全体としては紅花の需要が減ったわけではないので、国産紅花の不足分は中国や印度産紅花の輸入によって補った。そのため、外国産紅花の輸入は明治になると急にふえ、輸入額の最高は明治8年でおよそ40万斤(2万4000kg)に及んだ。

 国産紅花生産に最終的にとどめをさしたのは、ヨーロッパからの化学染料の輸入である。サボテンの寄生虫コチニールを原料として作ったカルミン・コチニールは鮮やかな紅色の染料で、わが国には寛政2年(1790)頃から長崎の出島にもたらされていたが、明治10年頃から輸入額がふえ、食用としても使用されるようになった。その後、明治16年からアニリン染料の輸入が急にふえ、従来紅花からとっていた古来の紅は、完全に駆逐されることになった。

 あの美しい古来の紅花の色あいは、外国製の化学染料のそれより遙かにまさっているのであるが、人手をかけて生産する古来の紅花は、価格の面で大量生産の化学染料には、とてもたちうちできなかったのである。

 こうして国産紅花とともに最上紅花の生産は明治になると急に衰え、其の生産額は明治17年には僅かに3駄となり、やがて完全に姿を消すことになった。