眉掃を俤にして紅粉の花

 俤:おもかげ 紅粉:べに

 行末は誰が肌ふれむ紅の花

 この二句は今から300年前の元禄2年(1689)、松尾芭蕉が奥の細道を行脚したときに作った句であるとされている。芭蕉が尾花沢に着いたのは5月17日で、6月朔日(ついたち)に大石田をたっている。その間すすめられて山寺を訪れたのは5月27日と翌28日で、新暦になおすと7月の13・14日で、紅花が咲きほこっている時期であった。沿道に咲き乱れた紅花は、芭蕉の興感をさそったことであろう。

 紅花の研究家今田信一先生は「二つの句を味わってみると、『眉掃』の句は咲き始めの可憐な一輪咲きを見つけて心をひかれた時の句であり、『行末』の句は畑一面に咲き誇った紅花のあでやかさに打たれた時の句であろう」といっている。

 紅花栽培の北限は東根北部であるが、この附近では4月上旬に種をまいて「土用一つ咲き」といって、7月中旬に咲き始めるのが普通であった。これに対し、山形付近では4月4・5日頃に種をまいて、「半夏一つ咲き」といって、7月2・3日頃から咲き出すのが通例であった。

 この紅花の開花期と二つの句の味わいを重ねてみると、『眉掃』の句は東根附近で咲き始めの紅花畑を眺めた時の句であり、『行末』の句は山寺街道沿いの、満面と咲きほこった紅花畑を眺めた時の句であろう、ということになる。

 芭蕉は尾花沢から南下して山寺立石寺に詣でては有名な「蝉」の句を、その途中でこの「紅花二句」を残したことになる。