紅花大尽といわれた尾花沢の豪商鈴木八右衛門には、つぎのようなエピソードがあります。

 江戸時代の元禄の頃のこと、最上の豪商が紅花の荷を江戸に送り出しました。ところが、江戸の商人たちの不買同盟にあい、荷は宙に浮いてしまいました。そのとき彼は、それではと品川の浜でその荷を焼いてしまったのです(実は紅殻を塗りこんだ古綿荷か鉋屑のようなものだったのです)。それが知れわたるとたちまち紅花の値はハネあがり、それをまって本物の紅花を売って大金を手に入れた彼は、かの吉原の大門を閉めきって豪遊したのです。噂は江戸の巷に流れ、さすがの江戸っ子も紅花商人のきっぷのよさに舌を巻き、吉原では「最上衆なら粗末にならぬ、敷いて寝るよな札くれる」などと唄われたともいいます。

 紅花商人に対する金融・商社的な役割を果たして産をなした尾花沢の豪商鈴木八右衛門を人よんで紅花大尽といいます。もちろん、この話は伝説です。最上紅花は主として京・大坂に積み出されていたもので、江戸にはそれだけ大量の物が送られてはいなかったとするのが通説です。けれど、紅花商いによる最上商人の繁盛ぶりはよく伝えられています。

 江戸で名をあげた鈴木八右衛門は、清風として俳諧に親しんだ人でもあり、俳聖芭蕉とも交流がありました。芭蕉は奥の細道の途中、尾花沢の清風のもとに十日間も滞在し、区会を開いたり、山寺に遊んだりしています。今、尾花沢の芭蕉・清風歴史記念館には当時の資料が保存されていますが、多くの紅花商人が同じように上方文化や江戸文化をふるさとに持ちこみました。紅花流通の道は、いわば《文化の道》でもあったのです。

殖産銀行発行「紅花」より引用